役員挨拶
心動かされる事例集のすゝめ
住友 雅人
本会の国際活動委員会の企画で大変興味深い事例集を発出することができた。タイトルは海外留学体験事例集「逆転の発想!こうすれば留学は失敗しない」である。現在,HPで公開中,ぜひご覧いただきたい。もちろんこれから海外留学をしようとする人たちに参考になればという意図で制作したものであるが,かつて留学した経験者にも自身の体験とダブって当時の回顧が楽しめる。そして逆に,この事例集は海外からの留学生の日本での悩みや苦労を共有できる。歯科医学・医療に関わる学会連合の構成員(会員)122名の生の声を多面的に集めたものであるが,他分野の方々にも共通する内容で,特に留学前,そして留学中の参考資料としてお勧めできる。このコロナ禍の状況は従来の情報は役立たないと考える方もいらっしゃるかもしれないが,隋や唐に学びに行った大昔から,時代の様式や状況は変化したとはいえ,留学者の経験や気持ちはミャクミャク*とつながっているのである。
私はこの事例集を「かつて留学した経験者にも自身の体験とダブって当時のことの回顧が楽しめる」という立場で味わった。そのうちの一部をあまり事例がないことかもしれないので紹介しておこう。1980年4月に6歳と4歳の子どもを連れて4人で英国に出発した。6歳の子どもは入学した私立小学校に,籍を置いておくために,1週間だけ通学して出かけたのである。英国・ロンドンの留学先は既に何人かの日本からの留学者が訪れていることもあり,受け入れ態勢は整っていたが,家を借りて生活環境を整えると同時に,子どもたちを現地の学校に入学させるという私生活面の手続きが必要であった。これは家内が何度か役所に出向きなんとか解決した。実は私は日本を発つ前から,次の留学先の歯学部長に受け入れ願いを送っていた。計画として,英国に1年滞在し,次の年にその地に1年間行く予定を自分の中で立てていた。しかし,英国出発前に返事は届かなかった。
英国に到着後,間もなく国際的な口腔外科学会がアイルランドのダブリンで開催されると知り,現地に出かけた。お願いしている大学の口腔外科学の教授の名前を調べ,会場のボードに「昼の12時にここにきているのでお会いしたい」と貼った紙の前で3日間待ったが会うことはできなかった。のちに分かったことであるが,当人はこの学会には参加されていなかった。
失意のダブリンからロンドンに帰り,留学先の図書館で,同じ国の別の大学を調べた。この世界大学全集は発行が古くて学部長も交代していると思い,留学希望の手紙は個人名でなく「歯学部長」で送ったのである。間もなく受け入れOKの返事が届き,日本から挑戦した最初の留学希望先からは受け入れられないとの書状が届いたのである。可否の理由は後日,しっかり理解できた。早速,大学に留学期間延長の希望を申し出たが,1年の要望に半年間の延長しか認められなかった。先方には1年間の希望を申し出ていたこともあり,その旨を伝えたところ,ロンドンの留学先の許可が得られればすぐに受け入れるという知らせが届いた。国から国の家族の移動は実に大変であった。船便の郵便小包(20Kgまで)を毎日のように郵便局に持ち込んだ。顔見知りになった局員には「郵便で引っ越しするつもりか」と驚かれていた。
翌年2月,真冬のフィンランド・ヘルシンキに家族4人で降りたったのである。この後の話は機会があればここで紹介する。
やはり,他国で暮らす(生活する)ことは日本人に欠けているとされている多様性の許容*には役立つものである。今回は学会連合から発出された海外留学体験事例集の紹介にとどまらず,自身の回顧となったことお許しいただきたい。確かに心動かされる情報集である。
*「ミャクミャク」は2025年大阪・関西万博の公式キャラクターの愛称,私は「多様性の許容」と理解している。
令和4年8月1日